「…わしは…誰とも結婚はしないし、誰とも添い遂げる気はない」
お前が必死になってわしを求めた。わしを、求めてくれた。
「…将軍…それは……」
ならばわしは、この全てで答えたい。お前の父親として、生きたい。
「わしは『父親』として生きてゆく。だからすまないセシリア」
そうやって生きてゆきたい。お前の為に、生きてゆきたい。
「…やっぱり…私ではあの子には勝てないのですね……」
多分初めから気付いていた。あの子に出逢う前から、貴方が娘がいるんだとそう告げた時から。その瞳の優しさが、全てを物語っていたから。それは恋愛とは違うかもしれない。けれどももっと深いものだった。深い想い、だった。
ひとつの事を一途にやり遂げる人だから。だから貴方があの子に向ける想いを懸命に答えようとしている限り。その限り私の入る隙間など何処にもないのだと。何処にも、ないのだと。
「…セシリア…お前にはたくさんいる。愛情を与えてくれる人間は」
出逢って、そして。そしてそれは確信に変わった。言葉じゃない。理屈でもない。でも二人には結ばれていた。大切なもので、結ばれていた。
「―――ダグラス将軍……」
それは血でもなく、それは情でもない。もっと深いもので、ふたりが結ばれているのか見えたから。
「でもララムにはわししかいない。わしだけなんだ」
それを引き裂く事も、その中に入ってゆく事も、私には出来ない。私には与えられ過ぎていたから。貴方達と違う、たくさんのものを持っていたから。
足りないものを補える相手ではない。埋められる相手でもない。当たり前のものを当たり前に享受してきた私には。私には頭で理解出来ても、心で理解する事は出来ないから。
「分かりました…将軍。では私はこれで…失礼します」
頭を下げ、そして微笑う。私はずっと。ずっとそうやって生きてきた。誇り高く、常に笑顔を絶やさないようにと。だから今も。今もこうして微笑おう。それが私の生きる道だから。
――――決して涙など、他人に見せないようにと。
彼女の綺麗な笑顔を見送りながら、わしはその先の言葉が出てこなかった。頭もよく容姿は言うに及ばず、器量も申し分のない…誰もが羨む女性ではあった。峠を越えたわしにはあまりにも、眩しい存在だった。彼女ならそれこそ選択肢は山のように転がっているだろう。何もわしでなくとも、幾らでも。だからこそ彼女の思いにわしは戸惑いを隠しきれなかった。そして信じられない思いだった。今でもまるで狐に包まれたような思いでいる。けれども。けれどもわしはこんなにも出来すぎた女性からの思いを、答えられなかった。それは。
「―――ララム……」
小さな少女。やっと自分の脚で大地を踏み始めた少女。やっと『生きる』という意味を知り始めた少女。自分自身の力で、生きる事を感じている少女。
「…お義父さま……」
呆然とした顔でわしを見つめ、そして零れている涙に気付いてはっとして。はっとして必死に涙を拭くとお前は笑った。いつもの子供のような顔で笑った。でも。でも今、気がついた。気が付いた。お前は子供のような無邪気な笑みを向けながら、何処か。何処か違うものをわしに見せていた事が。それに今、気がついた。
「あ、あのあたし…目にゴミが…そうゴミが入ってそれで…」
「…ララム……」
「お義父さまあの人と結婚するの?おめでとうっ!凄いララム嬉しいよ。お義父さまがしあわせになるの、ララム嬉し―――」
気が付いた。お前は何処か無理に笑っているところがあるんだと。無理に笑おうとしているところがあるんだと。それは。それはきっと。きっとわしがそうやって。そうやってあってくれと…無意識にお前に望んでしまっていたからだ。
お前に笑っていて欲しいと。何時も笑っていてくれと。
そう望んだから、お前は何時もわしの前で笑ってくれた。
子供のような無邪気な笑顔を向けていてくれた。けれども。
けれどもそれ以外にもお前はもっと。もっと色々な。
色々な顔を持っているんだと。色々な表情があるんだと。
それを分かってやれなかった。わしはそれをちゃんと。
――――ちゃんと分かってやれなかった……
「…お義父…さま?……」
ふわりと抱きしめてくれる腕。あの時と変わらない腕。あたしを初めて抱きしめてくれた時から、ずっと。ずっとずっと変わらない腕。優しくて暖かい、その腕。
「―――無理をしなくていい。わしはどんなお前でもいい」
「…お義父さま?…」
大好きな腕。大好きな暖かい腕。初めて差し出されたその時から、ずっと。ずっとあたしは。あたしはこの腕を道しるべにしてきた。この腕だけをずっと。
「無理に元気でいなくてもいい。無理に笑おうとしなくてもいい。お前が辛い事なら辛いと言って欲しい。どんなお前でもわしにとっては…」
好きだから、嫌われたくない。喜んで欲しいから、頑張った。貴方に笑って欲しかったから、あたし頑張った。笑顔が見たかったから。貴方の笑顔が、見たかったから。だからあたしは。
「わしにとっては大事なんだ。だから我が侭を言っても、何をしてもいいんだ」
「……ないで………」
だからあたし頑張った。強くなって子供になって、貴方に喜んでもらおうって。笑顔を何時もしていようって。でも。でもあたし。あたしはずっと。
「…結婚…しないで……」
「ララム?」
「…あたしをまた独りにしないで…あたしの場所を…取らないで……」
ずっとずっと、好きだった。貴方だけが好きだった。大好きだった。ひとりの男の人として、あたしが生まれて初めて好きになった人。好きになった人だから。
「…やっと…やっとあたしが…あたしが見つけた場所なの…やっとあたしが…」
「――――」
「…誰かのものになんて…ならないで…あたしのものにならないなら…誰のものにもならないで……」
好きなの。好きなの。貴方だけが、好き。本当にあたし、貴方だけが…好きなの。
「…あたしの場所…取らないで……」
あたしの言葉に答えるように抱きしめてくれる腕は痛いほどに『父親』の腕だと伝わった。あたしを包み込み、抱きしめてくれる腕は。
「――――結婚はしない、ララム」
貴方はあたしのお義父さま。あたしの『お義父さま』。
「わしは誰とも結婚はしない。だから」
あたしにとっては独りの男の人でも、貴方にとってはあたしは娘。
「だからお前の父親でいる。ずっとわしはお前の娘だ」
それでもあたしを一番に選んでくれる。あたしを一番に。
「大事な、大事な、娘だ」
こんなにも貴方に大切にされているのに、どうしてあたしは違うものを望んでしまうの?
「血など繋がっていなくても、お前はわしの娘なんだ」
ありがとうお義父さま。ありがとう。
その言葉はあたしには何よりも嬉しく。
そしてあたしには何よりも苦しい。
嬉しいの。嬉しいの、何よりも。
お義父さまがあたしを大事にしてくれる事は。
これ以上はない程に嬉しい事なの。
本当に本当に、あたしはしあわせなの。
でもね、でもお義父さま。あたしは。
あたしは貴方を好きになってしまった。
貴方を好きに、なってしまった。それが。
それがどうしても。どうしても、あたしを。
あたしを嫌な女にさせる。嫌な、女に。
あたしはどうしてこんなにも…貴方を好きになってしまったんだろう?
娘でいればいい。それ以上を望んではいけない。
嫌という程に分かっている事。嫌という程に理解している事。
それなのにどうしてこんなにも。こんなにも、あたしは。
あたしは貴方を愛してしまったのだろう?
ひとりの男の人として、あたしは貴方を愛してしまったのか?
好きです。貴方だけが、好きです。この想いをぶつけられたら。ぶつけて、しまったら?
あたしの全てを見せてくれと言った。子供じゃないあたしでもいいんだと。どんなあたしでもいいんだと。ならば、貴方に恋したあたしは?女であるあたしは?そんなあたしでも、貴方は受け入れてくれる?受け入れて、くれる?
違う。違う、違う。そんな事を望んではいけない。いけないのよ。そんな事で貴方を傷つけてしまいたくない。こんなにも優しい人を、あたしは裏切りたくない。でも想いは…止められない。
「…お義父さま…あたしは……」
告げてしまえば。想いを告げてしまえば。そうすれば全てが終わってしまうかもしれない。全てがなくなってしまうかもしれない。けれども貴方はあたしの本当が見たいと言ったから。だから。だから、想いを。想いを………。
それは突然の嵐だった。突然の、出来事だった。突然やってきた、それは。
「――――ダグラス将軍っ!!!」
その声に振り返るとそこには息も途切れ途切れの兵士と、そして。そしてその腕に抱かれているのは…。
「……ミルディン王子っ?!!」
綺麗な金色の髪がふわりと揺れて、そして兵士がバタリと音ともに倒れて。倒れて、そして。そしてそれと同時に貴方が兵士の腕から零れる身体を咄嗟に抱きかかえて。
「どういう事だっ?!これはっ?!!」
青白い顔をした綺麗な男の人を抱きかかえて、そして。そして……。
「王子っ?!!!」
あたし、何でも出来るよ。お義父さまのためなら、何だって。
本当だよ。平気。どんな事でも出来る。大丈夫、だってあたし。
あたしお義父さまよりも大切なものなんて、ないんだもの。
あたしよりも、大事なもの。自分自身よりも大切なもの。それは。
それはお義父さまだから。だからあたし。あたし何でもするよ。
どんな事だって、出来る。貴方のためならば、あたしはどんな事でも出来るんだ。