星屑の涙・4

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この瞬間、あたしは生まれた。今この瞬間に。
あたしと言う人間が、自分自身の脚で。自分のこの脚で。
大地を踏み、産声を上げて。そして。


――――そして『あたし』は、ただひとりのあたしになる……



大きな手がずっと。ずっと背中を撫でてくれた。大きくて厚い手が、あたしの背中を撫でてくれた。飽きる事無く何度も、何度も。
「…ごめんなさい…あたし……」
やっと落ちついて顔を上げれば、優しい瞳があたしを見下ろしていた。何処か哀しげな色を滲ませながらも、あたしを見つめてくれた。
「いい、構わん。少しは…気が楽になったか?」
優しい、瞳。目尻には皺が出来ている。その皺が笑みによって寄せられて、そしてぽんぽんと大きな手があたしの頭を撫でてくれた。
「ありがとう…あたし…あたし…ひどい事言ったのに……」
名前すら知らないあたしの為に泣いてくれた。他人でしかないあたしを助けてくれた。そこまでして一生懸命に救ってくれた命をいらない命だと言ってしまった。こんなに懸命にあたしを助けてくれた人に対して。
「いいんだ…そう言わせるものがこの国にあるとすれば、それはまたわしの責任でもある」
「でもっあたしっ!」
「よい、それでもこうしてお前が生きていてくれた。それだけでよい」
言葉が、出なかった。何を言えば分からなくて。何を伝えたらいいのか、分からなくて。でも。でもあたしは確かにこの瞬間、伝えたかった事がある。伝えたかった事が、ある。
けれどもその言葉は多分あたしは一生。一生伝えられない言葉なのかもしれないと…また何処かで思っていた……。



涙いっぱいの瞳で、それでもわしを見上げた少女は。
一途とも言える瞳で、わしを見上げた少女は。ひたすらに。
ひたすらに、子供のような表情をした。本当に。
生まれたての子供のような、顔でわしを見つめた。


そうまるで、今。今この瞬間に、産声を上げた子供のような瞳で。


「―――聴いていなかったな…名前は何と言う?」
ずっと国のために生きてきた。そう言う生き方しかわしには出来なかった。
「…ララム…あたしの名前は、ララム……」
エトルリア王家に仕える事だけが、全て。この国を支える事だけが全て。
「そうか、ララムか。いい名前だな」
そうして何時しか歳月は過ぎ去り気付けば、わしも独りになっていた。
「ありがとう、そんな風に言ってくれた人は…おばさんと…貴方だけ」
公の者として生きるあまり私人としてのわしは、全てを犠牲にしていた。
「ダグラスだ…いや…さっきのように…」
だからそんなわしに。そんなわしに、もしかしたらお前は。お前、は。



「――――おとうさんと…そう呼ばないか?」



あの時、あの瞬間。意識のない唇がそう呼んだ瞬間。
その手が伸ばされ未来を掴もうとした瞬間。わしは。
わしはお前に。お前にそう呼ばれた事が。そう、呼ばれた事が。


――――こころの中に、言葉が落ちて…広がったから……



ずっと、欲しかったもの。ずっと、願っていたもの。ずっと、ずっと。
「…何…言って…あたしは踊り子で…貴方は何処かの偉い人で……」
諦めていながらも、諦めきれなくて。こころの何処かで、ずっとあたしは。
「…こんな…あたしの事何も知らないのに…そんな……」
ずっとあたしは、こころの奥で望んでいた。願っていた、想っていた。
「知らなくない。今名前をこうして互いに知った。それで充分だ」
あたしを救い出してくれる手。あたしを見つけてくれる手。あたしの。
「――――わしでは、嫌か?それとも…帰る場所があるのか?」
あたしのこころの声を聴いてくれる、ひとを。ずっと、ずっとあたしは。
「…だってあたしは…あたしは……」
ずっと、あたしは、さがしていた。いのり、ねがっていた。


あたしを、救ってくれる手。
あたしを、見つけてくれる手。
そしてあたしをあたしだと認めてくれる人。
他の誰でもない。他の代わりでもない。
ただの『あたし』を、受け入れてくれる人。



「わしには妻も子もない…お前に充分な愛情も与えてやれんかもしれん。それでもわしは…わしはお前を護りたいと思った」



差し出された手。あたしに、差し出された手。
「わしの娘に、ならんか?」
ただひとつ差し出された手。それは大きくて。
「…あたし…あた…し……」
大きくて、厚くて、傷だらけで。でも。
「…あた…し……」
でも何よりも、誰よりも、優しい手。


男の人の手は皆。皆欲望のためだけに差し出される手で。あたしの身体を自由に扱うためだけに差し出される手で。
あたしに居場所を与えてくれる人は、あたしにお金を与えてくれる人は。全部、全部、何かしらの見返りを求めるだけで。見返りの為に親切にするだけで。


でもこの手は、違う。この手は、違うから。




「…おとう…さん……」




ずっと欲しかったものが。ずっと、願っていたものが。
諦めきれなくて、こころの奥でそっと。そっと祈っていたもの。
絶望の中で生きながら、死ぬ事を選べなかったのはただ。
ただひとつの祈りと願いがあったから。ただひとつの、想いがあったから。


「―――そう…呼んでくれるか?ララム」
そっと微笑った。目尻の皺が微笑って。
「…おとうさん……」
優しく微笑って、あたしを見つめてくれた。
「…ララム……」
あたしはこの瞬間、生まれて初めて自分を好きになれた。
「…おとうさん…あたしを……」
生まれて初めて、この世に自分と言う命があってよかったと思った。



「…お義父さまの娘にして…ください……」



微笑ったから。貴方が、微笑ったから。
嬉しそうに、微笑ってくれたから。だから。
だからあたし。あたし、本当に。本当にね。
こんなにも自分を好きになれた事がなかった。
貴方があたしの為に微笑ってくれたから。
本当にこころの底から微笑んでくれたから。
だからあたし。あたし、本当に。本当に。



―――――この世に生まれてきて良かったと、初めて思えたの……