星屑の涙・9

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出逢えた事。貴方と、出逢えた事。貴方とこうして。
決して交わるはずのない環境の中で。交わる事ない運命の中で。
それでもあたしたち出逢えた。出逢えたから。


ねぇ、お義父さま。お義父さま。あたしは、お義父さまの必要な人間になれますか?


「…わしは…お前にこんな事をさせたくはなかった……」
旅立つ日。貴方は泣きそうな顔でそう言ってくれた。それだけでもう。もうあたしは大丈夫だよ。大丈夫だから。
「平気よ、あたし。あたしなら平気」
泣かないで、お義父さま。あたしのいない場所で泣いたりしないで。大人の男の人が泣くのはみっともないって昔は思っていたけれど。でも今は。今はそれがどんなに暖かく、優しいものだって分かったから。あたし、分かったから。だからあたしがいる今、ここで泣いて。
「それに踊るの…あたし嫌いじゃないから。だからこの衣装も嫌いじゃないよ」
「…ララム……」
「それにお義父さまの役に立てるなら、あたし。あたし、何でも出来るよ」
この衣装にいい想い出など何一つない。辛かった日々しかない。踊り子として人間以下の扱いをされ、望まぬ男に身体を開き、生きてきた日々。ううん、ただ生かされていただけの日々だった。
そして思い出すのは、おばさん。大事なおばさん。あたしを護ってくれた…おばさん。あたしにしあわせになってくれと言ってくれたおばさん。
おばさん、あたし。あたししあわせを掴んだよ。怖いくらいのしあわせを。それは胸の痛みを伴うものだけど。でも、しあわせだよ。だってあたし。あたしこんなにも誰かを愛する気持ちを知ったから。
「貴方の役に立てる事が…あたしの一番の『しあわせ』だから……」
愛する事で知った想い。愛される事で知った想い。それは貴方に出逢わなければ、一生。一生あたしには分からないものだった。あたしには一生得られないものだった。だから本当に。本当にしあわせだよ。

みすぼらしく膝を抱えてるだけの踊り子は、誰にも負けない程のしあわせを掴んだよ…おばさん。


暗殺されたのだと、息が途切れる前にその兵士は言った。必死になって逃げてきて、そして助けを求めてきたのだと。その兵士が抱かえてきたのはこの国の王子。真っ青な顔で今にも死にそうな…けれども生きていた。まだ息があった。
あたしには政治の事はよく分からない。国の運命とか、そう言ったものとは無縁の世界に生きてきた。けれどもそんなあたしでも分かる事はある。
この王子を失ってしまったら、この国の運命が大きく変化してしまう事を。
そして何よりも貴方にとってそれがどんなに重大な意味を持つか、王子の命がどれだけ深い意味を持つか。それは見ているだけのあたしにも分かった。
何も知らないあたしですら、貴方がこの王子をどれだけ大事な存在として思っているのか…分かったから。


それから先、貴方のした事は…王子を匿う事だった。死んだと言う情報を流して、暗殺者達から王子を護る事だった。
その報によってどれだけの人が嘆き哀しんだかは、あたしには分からない。けれどもこの王子がどれだけ将来を期待されていたのかは伝わった。その国民の落胆と哀しみで、伝わった。
嘘を付くことは辛い。何よりも辛い事だ。まして貴方は国王にずっと仕えてきた、重鎮。そんな貴方が、王様に嘘を付いた。王子が死んだと、大事な人に嘘をついた。
そこまでして護らねばならない命だった。護らなければならないものだった。大切な人に嘘まで付いても、貴方はそれをこなさなればいけないかった。

端から見れば酷い嘘を付いているのだろう。許されないかもしれない嘘を。でもあたしは。あたしだけは絶対に見ているから。貴方がした事を全部、見ているから。貴方の苦しみを、貴方の苦悩を…そして自分自身を傷つけながらも、必死で護ろうとしている貴方を。
誰もが理解されなくても、誰もが貴方を赦さないと言っても…全ての人が何を言っても、あたしは。あたしはちゃんと見たから。ちゃんと見てきたから。貴方の本当の気持ちを、見てきたから。
だから何時か本当の事が分かって貴方を責める人がいたら…あたしは全ての人に反論をする。例え何を言われたって、あたしが…あたしが貴方を一番見てきたから、だからちゃんと言える。

王子を匿った。まだ意識は途切れ途切れだったが、このまま屋敷に置いてゆく訳にもいかない。何時ここがばれるとも限らないからだ。逃がさなくてはいけない。かと言って自分が逃がしたとしても、その先の見通しが付けられない。自分が長い間不在になれば、それだけ怪しまれる要素が増えるからだ。どんな些細な事でも、嗅ぎ付けられる訳にはいかない。どんな事をしても王子は護らねばならない。
貴方がそう零した時、あたしは初めて貴方のために出来る事を気付いた。貴方のために出来る事が、見つかった。貴方のために、あたしが出来る事が。


『―――お義父さま…あたしが行く。あたしが王子様と一緒に行く』


もう二度と着なくてもいいと思っていた踊り子の衣装を取りだし、あたしは身に着けた。嫌な思い出しかない、この衣装を。けれども今初めてあたしは踊り子である自分を好きになれた。
だって踊り子だったから、この衣装を身に纏えるから。だから貴方の役に立てることが、出来るんだって。
この衣装を身に纏い王子とともにいると告げた。お姫様のような綺麗な衣装を着ていないあたしは、別人だから。だから分かる事もないと。簡単に気付かれる事もないからと。貴方にそう告げた。その時のあたしはきっと。きっと微笑っていた。貴方のためにあたししか出来ない事を見つけた嬉しさに…きっと微笑っていた。


嫌いだった。踊り子は嫌いだった。この衣装も嫌いだった。嫌な思い出しかない。哀しい思い出しかない。だから嫌いだった。
「ねえ、お義父さま。ララムの踊り、見てくれる?」
「…ララム……」
でも今は好き。今は好きになれる。だってこの衣装こそが。踊り子のあたしだからこそ。
「お義父さまに見て欲しい。あたしの『全部』を」
貴方の役に立つ事が出来る。貴方のためにあたしが出来る事がある。あたしにしか、出来ない事がある。
「…見てお義父さま…あたしの踊り……」
貴方のために、あたしでしか…出来ない事がある。あたししか、出来ない事が。


「―――見せてくれ…お前の踊りを…お前の全部を、見せてくれ……」


貴方の言葉に、あたしは微笑って。微笑って、そして踊った。
恋する娘の踊りを…踊った。この踊りを教えられた時、あたしは。
あたしはただ本当に『踊る』だけだった。言われた通りにこなすだけだった。
でも今は。今は違う。言えない想いを全て込めて。告げられない想いを、今。
今この踊りに全てを込めて。貴方が好きだと。貴方を、愛していると。


踊りは生きる為の手段でしかなかった。踊る事自体は好きだったけれど、でも今まで手段としてしか踊れなかった。でも今貴方のために踊っているあたしは。貴方へと見せている踊りは、手段でも生きる糧でもない。ただ純粋に。純粋に想いだけを込めて。想いだけを込めて、あたしは踊る。ただひとつの想いだけを、この踊りの全てに託して。


愛している。貴方を、愛している。
この想いが間違えでもいい。間違っててもいい。
一時の錯覚だと、そう言われてもいい。
もうそんな事はどうでもいいの。どうでも、いいの。
あたしにとって貴方を愛しているこの気持ちだけが全て。
この想いだけが、この心だけが、全て。
今感じている事が、今貴方へと溢れているものが。
それが、あたしの全てだから。あたしの想いの全て、だから。


愛している。愛している。貴方だけを、愛している。


あたしはしあわせ。世界で一番しあわせな娘。
だって貴方に出逢えた。貴方と、出逢えた。
貴方と言葉を交わし、貴方のそばにいられる。
そして。そして何よりも。何よりも。
貴方のために、役立つ事が出来る。貴方のために、出来る事がある。
それはとても。とてもしあわせなことだから。


ねぇ、お義父さま。あたしの、お義父さま。
あたしは貴方の娘である事を誇りに思います。
貴方の娘でいられる事を…誰よりも誇りに思います。
誰よりも優しい人。誰よりも自分に厳しい人。
誰よりもこころの暖かい人。誰よりも…強い人。
そんな貴方のそばにいられる事。そんな貴方と絆が結ばれる事。


例え永遠に、この想いが叶うことがなくても…娘としての絆は永遠だから。


愛しています。貴方だけを、愛しています。
強い人。誰よりも強くて、誰よりも優しい人。
哀しい時に涙を流せる人。嬉しい時に微笑ってくれる人。
他人の痛みを誰よりも気付き、それを包み込もうと必死な人。
そんな貴方が好きです。そんな貴方を愛しています。


想い。溢れてくる想い。それは止められないから。止められないから今。今この踊りに全てを託して。全ての想いをこの身体に。だから。だから、今だけ。言葉に出来ない想いは今この瞬間に。この瞬間に全てを吐き出すから。


だからまた。また貴方の娘になれるように。貴方の前で本当に微笑う事が出来るように。


結ばれる事よりも。想いが成熟するよりも、もっと。
もっとしあわせなものに気付けた。気付く事が出来た。
貴方のために役に立てる事。貴方のために何かが出来る事。
あたししか、出来ない。あたししか、出来ないという事。
そう、あたしにしか出来ないんだ。あたしがここにいるから。
ここに存在しているから、貴方を助ける事が出来る。


あたしという『命』がここにあるから…貴方のためにしてあげられる事がある。
それはどんな事よりも、しあわせなことなんだ。