本当に大切なものを、生きている間にどれだけの人が気付く事が出来るだろうか?どれだけの人が、その事に気付く事が出来るか?
それはあまりにも当たり前に、自分の身近にあるものだから。ごく自然に自分の廻りにあるものだから。だから見失ってしまう。だから気付かなくなってしまう。こんなにも。こんなにも大切なものはそばにあるのに。
けれどもそれに気付く事が出来た。けれどもそれを、手に入れることが出来た。
人は生きている間に必ず一度はそれを手に入れる。
けれどもそれに気付く人間は少なくて。失ってから初めて。
失ってから初めて、その大切さに気付くから。
けれどもあたしは、気が付けた。あたしは、見つけた。
あたしのただひとつの、輝ける星を。ただひとつの、星を。
それは血よりも、絆よりも、恋愛よりも、もっと。もっと深いもの。もっと優しく、もっと暖かく。それはどんなものよりもかけがえのないもの。
「…お義父さま……」
恋には終わりがあるけれども、愛には終わりがない。恋愛は何時しか情に変わっても、絆は普遍のものだから。
「…あたし…何時か……」
貴方を、見上げた。何時もの優しい顔があたしに向けられる。目尻の皺も何時もと一緒、細められた優しい目も何時もと一緒。一緒、だね。貴方はどんなあたしでも。どんなあたしでもこの顔を、瞳を向けてくれる。どんなあたしでも。
「お義父さまのお嫁さんになりたいな」
だからあたしも。あたしも素直になる。本当の事を言う。今の本当の気持ちを。未来は分からない。この先は分からない。でも、今。今あたしが貴方を好きだという気持ちを。好きだという想いを嘘偽りなく告げる。貴方への…想いを。
「―――お前がずっとわしにその瞳を向けるなら…その時は」
大きな手が髪を撫でてくれる。それはやっぱり『父親』の手だった。貴方にとってあたしはそういう存在。そんな、存在。でもそれが貴方にとって一番の存在だって、分かったから。
「その時は、お嫁さんにしてね。あたしお義父さまの瞳に映る最期の人になりたいから」
「娘じゃ駄目なのか?」
「駄目、娘じゃ。だってお義父さまには最期の時には一番大切な人と過ごして欲しいんだもの。だからあたし、お義父さまの『一番』になるの」
好き、大好き。本当に大好き。貴方という存在が、あたしにとっての全部。馬鹿みたいだけど、本当にそう思えるから。あたしちっぽけだけど、あたし何も持ってないけど。でも、今手に入れた。手に入れたから。
「あたしにとって…『一番』は…ずっとお義父さまだから……」
手に入れたよ。あたし、見つけられた。一番大切なものを、見つけられた。一番大事なものを、見つけられた。見つけられたから。
「…もしも…あたしに他に好きな人が出来ても…貴方以上に大切な人は…いないから……」
もしもこれが。これが恋じゃなくなっても、貴方があたしをずっと娘としてでしか見れなくても。それでも、今。今あたしたちに結ばれている絆が。ふたりを結んだ絆こそが。
これこそが、何よりものもの。どんなものよりも、大切なかけがえのないもの。
だって終わりはないの。終わりはないんだよ。
「―――ララム……」
あたしたちの絆は切れる事がない。終わる事がない。
「ずっと、お義父さまだよ」
さよならも、ない。別れも、ない。もし明日。
「ララムの一番は」
もし明日あたしが死んでも。結ばれている絆は消える事がない。
親子であり、親子じゃない。恋人同士のようでありながら恋人ではない。そんな関係では語れないほどの、言葉では語りきれないほどの、もっと。もっと深い絆が。
あたしは貴方に逢う為に生まれてきた。しあわせになる為に生まれてきた。貴方と、しあわせになる為に生まれてきた。貴方を、しあわせにする為に生まれてきた。
「わしもだ、ララム…この年になって…こんなしあわせを手に入れるとは思わなかった」
貴方がいるからあたしは、しあわせ。あたしがいるから、貴方がしあわせ。互いが存在する事が、互いの存在こそが、何よりもかえがたいものだと。何物にも代えられないものだと。そんな想い、そんな絆。それが今。今確かにここにあるから。
「わしにはお前がいる。その事実がこんなにも」
見えなくても、ある。カタチで示されなくても、ある。今ここに。ここに、あたしたちの胸の中に。見えないけれどきつく結ばれた絆がある。
「こんなにも…大事だ…わしには…大切だ……」
それはもしかしたら。もしかしたら、人を愛する気持ちよりも。恋愛よりももっと、深いものなのかもしれない。
あの日、もしもお前に出逢わなければ。お前の手を取らなかったら。わしは一生気付かなかったかもしれない。気付けなかったのかも、しれない。こんな想いに、こんな気持ちに。こんなにも大切なものに。
戦場では得られない。忠義でも得られない。高みを目指しても、自らを犠牲にして護り通しても。その中では絶対に生まれないもの。その中では絶対に得られないもの。
それはあまりにも自然だから。それはあまりにも暖かいから。それはあまりにも…身近にあるものだから。
何を目指す訳でもない。何かを成し得るわけでもない。それでも自然と与え、そして与えられているもの。ただ互いがこうして存在しているだけで。こうしてそばにいるだけで、満たされてゆくもの。
特別な事をしている訳じゃない。ごく自然の日常に組み込まれているもの。ごく当たり前にそこにあるもの。
空気のような、穏やかさこそが本当は。本当は何よりも大切なものだったんだ。王に対する忠義よりも、国に対する愛国心よりも、もっと。もっと大事なもの。
それを気付かせてくれたのはお前だ。そしてそれを与えてくれたのは…お前だ。
愛していると、思う。お前を、愛していると。
それがお前の言うような、恋愛とは違う。けれども。
けれども、愛しているよ。お前を、愛しているよ。
男女の関係なんて、必要ない。そんなものなどなくても。
わしは、自分の全てでお前を護りたいと思うから。
身体など重ね合わせなくても…わしにはお前の全てが伝わるから。
「うん、お義父さま。お義父さま、あたしはしあわせです。貴方に逢えて…しあわせ」
一緒に、生きて行こう。どんな形であろうとも。
あたしたち一緒に。一緒に、生きて行こうね。
しあわせになるために。もっともっと、しあわせになるために。
あたしにとって貴方が何よりも必要で、そして貴方にとってあたしが何よりも必要だから。
あたしは人形だった。ただ『踊る』為だけの人形だった。命じられたままに踊り、そして男達の欲望の為に身体を差し出す…そうやって生かされているだけの人形だった。
自分自身の意思は何処にもなくて、心の奥底で叫んでいる悲鳴にも目を瞑り。心の痛みを必死で抑えつけ、そして命令に従うだけだった。
けれどもあたしは、貴方に逢えた。貴方という存在があたしを見つけ、そして。そしてあたしの『命』をそっと。そっと抱きしめてくれた。
――――いらない命なんて…何処にもない……
貴方の言葉。あたしにくれた、貴方の言葉。あたしですら要らないと何処かで諦めかけた命を必要だと言ってくれた。必要だって、言ってくれた。生きたいと叫んでいた胸の奥の気持ちを、貴方は見逃さなかった。あたしの心からの叫びを。
あたしは生きたかった。自分の脚で歩きたかった。誰に命じられる訳ではなく、自分の意思で。自分で選んで、自分で決めたかった。自分自身の気持ちで…生きたかった。
あたしが、思った。貴方のためになりたいと。あたしが、選んだ。貴方のために、生きたいと。
人は一人では生きられない。今ほどその言葉を実感した事はない。ひとりでは生きられない。誰かの為に生きている。そして自分の為に生きている。
貴方がいるからあたしは頑張れる。貴方がいてくれるからあたしはどんな事でも出来る。それはとても強い力。それはどんなものにも負けない想い。そして。そしてそれはあたし自身の力になる。あたし自身の宝物になる。あたし自身の、強さになる。
貴方に与えられて、そしてあたしが貴方に与えられる。そうやって生きてゆける。そうやって、生きてゆく事が出来る。
こんな相手に巡り合えたあたしは、誰よりもしあわせな娘だから。
生きている。あたしは、生きている。自分の意思で考え、そして自分の気持ちのままに行動している。あたしは、生きているんだ。
貴方に出逢う前のあたしの方がずっと長いのに。なのに貴方に逢えなくなるほんの僅かな時間をとても長いと感じる。
「お義父さま、帰って来たら…あたしを抱きしめてくれる?」
でもその長さすらも、あたしにとって不安にはならない。怖いとは思わない。だって、分かるから。繋がっているんだって分かるから。
「ああ、抱きしめる。だから無事で…帰ってきてくれ…ララム」
繋がっている。見えない絆で結ばれている。強い絆で、あたしたち結ばれている。お義父さま。あたしの、お義父さま。
「いっぱい、いっぱい、抱きしめてね…お義父さま……」
もう泣かないね。泣く必要がないから。だから次に逢う時まで、涙は取っておくね。無事に王子様とこの地に帰ってくるその日まで。
「…幾らでも…抱きしめてやる…わしの腕は…お前のものだ」
楽しい事は全部、取っておくね。次に逢えた時まで。
いっぱいいっぱい、取っておくから。だからお義父さま。
お義父さま、無事でいてね。無事で、いてね。
あたしも頑張るから。あたし、頑張れるから。だから。
だからお義父さまも、無事で…無事でいて…ください……。
「――――行って来ます、お義父さま」
もう後ろは振りかえらない。振りかえらなくても、貴方の存在を感じる事が出来るから。