永遠に言えない言葉なのかもしれない。
永遠に告げられない言葉なのかもしれない。
それでも、そばにはいられる。そばにいる事は、出来る。
これ以上を願わなければ、こうして。
こうして貴方の手は、あたしに触れてくれる。
娘で、いい。そばにいられるなら。貴方がそう望むなら。
貴方が望む通りになるから。だから、あたしを捨てないで。
捨てないで、あたし。あたしどんな事でもするから。どんな事でも出来るから。
だってやっと。やっとあたしは手に入れる事が出来たんだもの。出来たんだもの。
本当に欲しかったものを、こうして。こうしてあたしは。
貴方が微笑ってくれることが、あたしの一番のしあわせ。あたしの一番のしあわせ…だから。
鏡に映る自分のみすぼらしい姿に、苦笑した。髪は乱れ自慰の後の肌は火照り、年頃の娘のする格好ではなかった。けれども、そんな姿こそが本来のあたしだった。
綺麗な服を着て、お姫様みたいな格好をして、そしてしあわせそうに笑っているあたしこそが、別の生き物だった。本来のあたしは欲望の海に塗れて生きてきた、踊り子なのだから。
「…いくら頑張っても…偽者は偽者だよね……」
夢のような日々。夢のような時間。もしもこの夢が醒めたとしてもあたしはしあわせだ。だって貴方に逢えたから。貴方という存在に出逢えたから。だから平気。これから先どんな事があっても。
「偽者なんだから、これ以上望んだら駄目だよ」
あの人は本物だ。本当に綺麗な人だ。あたしみたいに外側だけを着飾った偽者なんかじゃない。本物の高貴な生まれの、綺麗な女の人。あたしがどう太刀打ちしたって叶わない人。
「駄目だよ、ララム…ちゃんと分かっているでしょう?」
誰よりも好きで、誰よりも大切な人。だからその人の隣りに立つのはあたしみたいな小娘じゃあいけない。何も持っていない、何も与えられないただの子供じゃ駄目なんだ。
「分かっているでしょう?」
あの人ならたくさんのものを、貴方に与えてくれる。あたしと違っていっぱい、色々なものを持っている。だから、あたしは祝福しなきゃいけない。可愛い娘になってあの人を迎え入れないといけない。でも。
「…あたしはただの踊り子…それ以上でもそれ以下でもない…それだけの存在なんだから」
でも、胸が痛くて。でも胸が苦しくて。苦しくて、苦しくて、どうしていいのか分からない。あたしはどうしていいのか…分からない。
どうしていいのか、分からなくて。
ただ胸の奥から沸き上がる痛みを。
痛みを必死になって、堪える事しか。
堪える事しか、あたしには出来ない。
――――今のあたしには…それしか出来ない……
好きだという気持ちは止められない。止めることは出来ない。
けれども告げなければ。貴方に告げなければ、この想いは。
この想いは、あたしが持ってゆけるから。
あたしが死ぬその日まで。大切に、大切に、持ってゆくから。
何時しか空の日は落ちて、あたしはベッドで眠っていた。目が醒めた時には部屋は真っ暗になっていた。
「――――着替えないと……」
あの格好のまま眠ってしまいあたしはクローゼットから服を取り出して、着替えた。その中には今まで着た事のなかった綺麗な服がたくさん入っている。どんな服を買えばいいのか分からないと、照れたように困ったような顔で言っていた貴方。それでもあたしに似合うようだろうってこんなにもたくさんの服を買ってくれた貴方。
どんな顔をしながら、どんな表情をしながら…この服を買ってくれたんだろう?
照れたような顔だったんだろうか?それとも逆に毅然としたような表情をしていたのだろうか?考えるとひどくおかしかったけれど。けれどもあたしは。あたしは何となく分かる気がする。
きっと不慣れな場所で、それでも必死に選んでくれたんだろうって。真剣な顔で、探してくれたんだろうって。
「…お義父さま……」
綺麗な服と、大きな屋敷と、そして暖かい部屋。あたしがずっと欲しかったもの。ずっと願っていたもの。踊り子をしながら、何時か。何時か絶対に手に入れると、そう思っていたもの。でも。でも今はそれすらもなくてもいいと、思う。なくても構わないと。
――――貴方がここにいてくれれば…それだけでいいんだと……
本当に欲しかったものが、一番欲しかったものが。
それを貴方だけが与えてくれたから。だからそれ以外のものは。
あたし失っても、何もかもなくなっても平気。
貴方がいてくれれば。あたしをそばにおいてくれれば。
それだけで。それだけで、あたし。あたしはしあわせだから。
…だから…いい子になる…貴方の望む娘になるから……
「将軍はララムちゃんの事ばかりですね」
先に帰ったパーシバルを見送り、庭に出たセシリアは隣りに立つダグラスに向かって微笑いながら言った。それはひどく優しく、そして何処か哀しげな笑顔だった。
「親馬鹿と言われるかもしれんが…わしには可愛くて堪らないのだ」
日は沈み廻りは闇に包まれてゆく。大きな窓から覗く灯りがこの庭の光の全てだった。その中に佇むように立つ二人は、まるで一枚の絵のようだった。
「―――娘として、ですか?」
碧色の髪がふわりと揺れる。そこから微かな甘い薫りがした。セシリアが普段から好んで付けている香水の薫りだった。大人の女性しか似合わない、甘く微かに官能を含む薫り。
「当たり前だ、お前は変な事を言うな」
「…変な事…でしょうか?……」
不意にセシリアの碧色の瞳が変化する。それは微妙な変化で、こうして。こうして間近で見なければ、分からないほどの。けれどもそれに。それにダグラスは、気が付いた。
「…セシリア?……」
気が付いて、そして。そして彼女がこの先告げるであろう言葉に気が付いて。気が、付いて。
「私はダグラス将軍…貴方の事が……」
ふわりと髪の薫りがダグラスの鼻孔をくすぐった瞬間。その瞬間、柔らかい女性の唇が…ダグラスのそれに触れた……。
綺麗だと、思った。本当に綺麗だと。
暗く静まり返った庭先で。そこで。
重なり合う唇が。重なり合う影が。
綺麗で。とても、綺麗で。綺麗過ぎて。
あたしは涙が零れて来るのを、堪えきれなかった。
「好きです、貴方の事が」
「…セシリア……」
「…上司としても…一人の男性としても…尊敬しています」
「…わしは…セシリア……」
「…貴方を…愛しています……」
セシリアの言葉にわしは何も言えなかった。言える筈がない。わしみたいな峠を越えた男を、好きだと言うことが。そんな風に言われる事など夢にも思わなかった。まして軍の中でも若い男達のマドンナのような存在である女性が、自分の事など。
「…ダグラス将軍……」
綺麗なだけではない女だと思っている。強さも賢さも備えた女性だと。彼女に非の打ち所など全くない。完璧な女性だ。けれども。けれども。けれども、わしは。
碧色の髪の背後で。庭の入り口で。
呆然とわしらを見つめて。見つめ、て。
そして何も言わずに、その瞳から。
その瞳から涙を零しながら。零しながらも。
それでもわしらを必死に見ているお前が。
「…セシリア…すまない…わしは……」
何もない娘だった。何も持っていない子供だった。だからわしは与えてやりたかった。こんなわしでよかったら、与えてやりたかった。お前が持っていなかったものを、お前が欲しかったものを。
その為ならばわしはどんな事でもしようと。どんな事でもしてやろうと。
『…おとうさん……』
今にも消えゆきそうな命。それでも必死に生きようとした命が。
そんなお前が、わしに言った言葉が。ただひとつの言葉が。
それがわしに教えてくれた。わしに、与えてくれた。
――――誰かを護りたいと…思う気持ちを……
忠誠でも忠義でもない。わし自身の心が。わしの、心が。
ただ純粋にこの命を護りたいと。護ってやりたいと。
小さくても懸命に生きているお前を。わしが。わしがこの手で。
それはどんな理由であろうとも、どんな形であろうとも…『愛』だった。